計画性のない生活

サラリーマン生活も終盤を迎え、日常の気になることや面白いことを書かせていただいてます

熱帯低気圧のまま、依然勢力を保ち停滞中

遅い夏休みをいただき、家族で台湾に行ってきました。

9/6から2泊3日で予約し、9/8 夜にエバー航空で羽田に戻って来る予定でした。

しかし、台風15号の影響で9/8 は台北空港は出発できず、9/9朝の出発に変更になってしまいました。

私が乗る前の便は出発していましたし、ほぼ同時刻のANA便も出発していました。

航空会社でなぜ違うんだと不思議でした。

9/9まで休暇を取得していたので出社の心配はありません。

問題はホテルです。

エアトリで飛行機とホテルを予約したので、9/8のホテルは自分で探さなくてはならないのです。

自然災害による延泊では、エアトリは何もしてくれません。

あわてて、エクスペディア(なぜかエアトリから乗り換えて)でホテルを探すと、台北駅近くのそこそこのホテルが約5000円/1部屋で取れました。当日割なのでしょうか?

+5000円で2泊3日→3泊4日になるなら、まあいいかと割り切って楽しむことにしました。

9/9(月)昼過ぎに羽田に到着すると、日本では我々どころではなく、大変なことになっていることを知りました。

帰りの便は大幅に遅延しましたが、台湾では思ったほど暑くもなく、雨にも降られず幸運だったのかもしれません。

羽田でメールを確認すると、会社の同僚から電車が動かず午後から出社する人や、休む人までいるとの事でした。

 

台湾旅行記は改めてご報告するとして、私が30歳台のころ、似たような台風が東京に襲来したことを思い出しました。

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 その日も9月だったと記憶しています。

明け方は、台風による暴風雨で、安普請の我が家は倒れるのではないかと思ったほどでした。

昨晩のニュースでは、出社時間帯に暴風域に入るとの事でしたが、予想以上に早まり、出社の時は雨風も峠は越えていました。

それでも、強風の中、駅にたどり着くと、電車はホームで止まっていました。

台風の暴風域は外れたとは言え、関東直撃は免れなかったため台風の爪あとは大きかったのです。

何時から停まっているのか知れぬ電車に、乗るべきか乗らざるべきかを躊躇している人たちが、ホームに溢れていました。

取りあえず満員になる前に、いつ走るとも知れない車両に乗り込みました。

停車中の車内から、携帯(当時はガラケー)で、遅れる旨を会社に連絡し、取引先へ面談の予定をキャンセルするという、その時やれるべきことを行っていました。

イライラしながら発車を待ってましたが、一向に電車が動く気配の無いまま、30分が過ぎました。

開け放たれたドアのせいで、エアコンは効かず、額から汗が流れてきました。

振替輸送を行っているとアナウンスは流れていますが、他の路線に乗るのも簡単ではないのです。

駅員に詰め寄っていた乗客が、諦めて改札を出て行く姿を見えました。

運行の目途が立たないのだと思い、私も、JRを諦め、今も運行している私鉄の駅までバスで行く事にし、JR車両を後にしたのです。

考えることは皆同じで、私鉄駅行きのバス停も長蛇の列でした。

 

もしや、あのままJRで待っていた方が早いのではとの考えがよぎりましたが、今更列を離れる勇気もありません。

漸くバスに乗り、私鉄の駅に到着しましたが、ここでもホームに人があふれていました。

JRの振替輸送による混雑によりダイヤは大幅に乱れ、私鉄でも急行電車はすべて各駅になっていました。

 しかも、あまりの混雑で何本電車を見送っても電車に乗れません。

漸く載れたのは11:00を回っていました。

車内の混雑も尋常でなく、圧死しそうです。

なんでここまでして会社に行くのか、我ながら不思議でした。

 

電車の間隔が詰まっているため、前を走る電車に近づく度に停車し、動いても徐行運転なのです。

一駅進むのに10分以上もかかっていました。

終業時間までに会社にたどり着けるか不安になりました。

 そして何とか乗換駅に着いたときは13:00近くになっていました。

乗換駅の空はピーカンに晴れ上がり、既に台風一過で日差しがジリジリと照りつけてきました。

朝、強風の中、家を出たのが遠い昔に思えました。

ここまでくれば、会社までは10分ちょっと。

今更少し早く出社したからといって、何の評価も叱責もないはずです。

くたくたと空腹のため、取り合えずどこかに座ろうと、駅の近くの中華料理屋に入りました。

すると、同じ部のTTが、カウンターでメニューを見ていたのです。

海外で迷子になって知り合いに出会えたようにTTが、いとおしかったのです。

テーブル席に移動し、まるで戦友のように二人で労をねぎらい、自然とビールを頼んでいました。

こんなに苦労したんだから1杯ぐらい飲んでも罰は当たるまい。

13:00過ぎの中華料理屋はさほど混んではなく、周りに気を使う必要はありません。

からからののどに、瓶ビールは最高にうまく、あっと言う間に1本空きました。

もう一本頼むのは当然だと二人は見つめあい、追加のビールを注文しました。

ついでに餃子も注文しました。

すると、新たに満員電車の被害に合ったと思われるヘトヘトのお客が店に入ってきたのです。

なんと隣の部のSSだったのです。

「お疲れ様!」と声を掛けると、「やっとここまでたどり着いたよ!」と泣きそうな表情でした。

「まあまあ、一杯」とSSにビールを注ぎました。

SSも当然のようにグラスを受け乾杯しました。

SSは相当咽が渇いてせいか、強制してるわけではないのに駆けつけ3杯を実行していました。

まるで、大仕事を終えた打ち上げのようです。

あっというまに、追加のビールも空いてしまいました。

SSは何の躊躇もなく、もう1本追加していたのです。

そして餃子を追加する事も忘れません。

 さすがにTTは、「もうそろそろ止めようよ」と言いいました。

当然です。これ以上飲んだら、会社に行ける状態でなくなってしまいます。

そしてTTはマスタに言いいました。「紹興酒1本!」

「もう止めるんじゃないのかよ」と聞くと

「ビールを止めたんだ」とまじめな顔で答えました。

すかさずSSは「紹興酒、いいねえ」と始まった。そしてまた3人は盛り上がり、気がつくと紹興酒は空きすっかり出来上がっていたのです。

「これからどうする?」とSSが聞いてきた。

TTは答えました。「こんな状態で、会社に行ける訳ないだろう。もうチョット粘って会社帰りのやつと合流し2次回と行くか!」

との発言でした。

 

台風は大きな爪あとを残し、あっという間に通りすぎましたが、我々は熱帯低気圧のまま依然勢力を保ち停滞中でした。