計画性のない生活

サラリーマン生活も終盤を迎え、日常の気になることや面白いことを書かせていただいてます

人事 

先日、懐かしい会社の先輩から暑中見舞いをいただきました。

そして、その先輩との出来事を思い出しましたので書かせていただきます。

 

 私が20代だった頃、ウチの会社は、販売不振の影響で製造部門の縮小を行っていました。

当時、私は都内の営業所でピカピカの営業マンとして働いていました。

 

製造部門の縮小に伴い、工場の1つの閉鎖が決まりました。

工場勤務をしている人が、この会社での勤務を継続するには、他工場に異動するか他部門に行くしかないわけです。

もちろん、会社を辞めたり、関係会社へ転籍した人もいました。

 

我が営業所にも、工場勤務から一転、40歳にして初めて営業に配属された先輩が着任されました。

この方が、暑中見舞いをいただいたI先輩なのです。

入社以来20数年間、製造現場一筋で働いて来た人が、40歳を超えて営業マンになるというのは、20代の新入社員が営業所に配属されるのとは訳が違います。

当時、I先輩はお子さんも小さく、ご両親と同居されていたので必死だったと思います。

 

そのI先輩の営業所での最初の仕事は、運転免許取得のため、教習所に通うことだったのです。

40歳にして初めて営業をするだけでも大変なのに、更に車の運転も初めてなんて想像を絶するものです。

I先輩は、出勤前、勤務の合間、退社後、土日、祭日と時間を費やし教習所に通っていました。

I先輩は、脱輪しても、仮免に落ちても、年下の教官から罵声を浴びても、家族との生活を守るため、意地と忍耐で1ヶ月で免許を取得したのでした。

 

晴れて普通免許を取得したI先輩ですが、免許の取りたてなんて、反射神経のいい若者さえ危なっかしいのに、40歳にしていきなり営業車を運転するI先輩は、無謀としか言いようがありません。

その時は、人事部ももう少し考えて配属すべきだと思いました。

家族の方もI先輩が、突然に営業マンになって車を乗り回すなんて、さぞ心配されていたと思います。

 

免許を取得するまでは、内勤で商品知識を身につけたり、担当となる得意先の取引状況を勉強していました。

セールスでもあるため、回収業務や与信管理なども、一から勉強していたのです。

そしてある日、遂にI先輩は課長から、営業車での地方出張を命じられたのです。

I先輩は、「営業」と「運転」のW初心者マークを付けての出張です。

そして、課長はなんと私に、その出張の同行を命じたのです。

まだ死にたくは無い。

それもピカピカの40歳の運転する営業車なんかで・・・

 

翌日、私はI先輩の運転する助手席に座っていました。

I先輩は教習所の指導に基づき、シートとハンドルの位置、ルームミラーの確認を済ませ、シートベルトを装着後、ギアーをローに入れました。

I先輩と私は、営業所の駐車場を出発し、晴海通りを東に向かいました。

私は、先輩を緊張させないように、また気持ちよく運転していただけるように“40歳での加齢なる営業への転身”や“運転免許の1ヶ月での取得”などの努力をたたえていました。

和やかなうちに、営業車は順調に湾岸道路の新木場入口まで来ました。

思ったより落ち着いた運転で、私の不安が少しずつ消えかけて来ました。

“先輩のようにまじめで、熱心であれば、きっといいセールスマンになれますよ。

お得意さんともすぐに仲良くなり、成績も伸ばせますよ!

がんばりましょう!

”心の中で上からエールを送りました。

 

そしていよいよ高速道路に入ります。

高速入口に向かう先輩は、入口のおじさんから、もぎ取るように高速券を奪いました。

私は、一般道を運転する先輩と明らかに様子が違うことを感じました。

先輩は高速券をもぎ取ったあと、窓を締める余裕もなく、強風と轟音を車内に取り込んでいました。

髪の毛を振り乱し、本線への合流に挑んでいたのです。

”よ、よ、様子が違う”

さっきまで、落ち着いていた先輩がウソのような形相をしているのです。

目が血走っています。

先輩は、ハンドルを右へ1センチも切れないまま、側道を直進しているのです。

このままスピードをあげれば側壁に激突します。

 “やばい”焦った私は、助手席で叫びました。

「先輩!先輩!少しずつハンドルを右へ切って!」 

「そう!少しずつ右へ、少しずつ少しずつ頭だして」

「もっと右へ!そう!右へ!」 

「先輩は前だけ見て下さい」

 

私は後ろを振り向きながら大声で指示しました。

「後ろは大丈夫です。車は来ていません。今です!」

「思いっきり頭出して!」

「もっと頭出して、後ろは大丈夫だから!」

「早く右に入って!もっと右に、今だ! 先輩うまい!」

「Good job!」

 

何とか合流ができました。

ふーっと息を吐き、横を見ると、開けっ放しの窓から自分も頭を右へ倒して、必死に運転している先輩がいました。

若干薄くなった、40歳の頭が強風にあおられ、激しく乱れていました。

先輩の営業への車線変更が成功の瞬間でした。

 

その後、先輩は順調に出世をし、営業所長で定年を迎えられました。

 

先輩、お元気ですか?久しぶりに会いたいですねぇ。

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