ゴールデンウィークに限らず、休日に予定がなくなったのは何故か考えてみました。
親が死んだのと、子供が大きくなったからでしょうか?
元々、一人で過ごすのが嫌いでないし、寂しくありません。
負け惜しみではありません。
よく、会社で昼飯を一人で行けない人を見ると不思議でしょうがありません。
その日に食べたいものは、それぞれ違うはずなのに同じ店に行くのは不自然な気がします。
きっと、力関係で誰かが決めたメニューに従っているのでしょうか?
優柔不断な人や、食に興味が無い人は、誰かに決めてもらった方が楽なのかも知れません。
一人で過ごすのが好きなこともありますが、人と合うのが面倒臭くなっているのかも知れません。
昔はそんなことなかたっ気がしますが。
毎日、友達や上司と飲み歩いて、週末もゴルフや釣りで友人と会っていました。
自分が老け込んだことが最大の原因かも知れません。
内館牧子の「終わった人」や「すぐ死ぬんだから」を夢中で読んでしまうのも当然かもしれません。
もう少し若かったら、こんな小説(楽しませていただいてます)には、ハマらなかった気がします。
この主人公の気持ちや境遇を自分に置き換えられるような年齢になってきてしまているのだと思います。
主人公のように東大を出て銀行マンになったわけでもないのに、自分に置き換えるのは図図しいかも知れませが・・・
確かにこの年になると、会社で“ボーっと生きていても叱られない”年齢になっている気がします。
定年したらどうなってしまうのでしょうか?
このゴールデンウィークのように、家庭菜園行って、本読んで、パソコンいじって、トイプードルと散歩行って美味しそうなつまみを買ったり、作ったりして晩酌までの時間を何とかつぶしているだけの日々が続くだけのように感じます。
そのうち、家庭菜園も辛くなり、犬も死んでしまったら昼酒を始めそうです。
これを始めたら「完全に終わった人」になってしまうのでしょうか?
ゴールデンウィークにカミサンと娘が出かけて、犬と一緒に留守番となったことがありました。
犬はかわいいです。何がかわいいかって、人間と違って根に持たないのがいいのです。
その日も、犬の散歩を済ませて仲良く留守番していました。
ちょっと買い物を思い出したので、犬だけ家に置いて出かけました。
買い物を済ませ、数時間後に帰って来ると、何年ぶりに再開したかのような喜び方をして迎えてくれるのです。
犬に向かって「寂しかったか、よしよし」と撫で回わします。
犬はゴローンとお腹を出して寝転がり、至福の顔をしてくれるのです。
こんな歓迎はカミサンや子供たちではありえません。
子供が小さかったときは、パパ、パパとうっとうしいくらいにまとわり付いて来ましたが、遠い昔です。
畳に寝っころがってテレビをみていると、犬は「かまって、かまって、テレビなんか見ないでボクを見て、ボクだけを見て」とばかりに、私の顔の前に立つのです。
テレビに嫉妬している寂しがり屋なのです。
「どけ、どけ」と手で払っても何度も何度も立ちはだかるのです。
ひとり(一匹)にさせても、閉じ込めても、根に持たないのはかわいうのですが、とにかくしつこいのです。
「いくら“ボーっと生きてるからって” せっかくのゴールデンウィークに、なぜお前のおちんちん越しにテレビを見なけりゃならないんだ!」